いににっき

お絵描きしたり日常のこととか。

1年前入院してたこと

【女性特有の病気の話や生々しい表現があるので苦手な方はご注意ください🏥】

 

去年の今頃は入院してたなそういえば…でも入院中の細かい体験は日記アプリに記録はしたけど公開はしていなかったな。してしまうか。自分も同じ病気で入院してた人の体験ブログにとても助けられたし。

というわけで当時の日記をコピペしておきます。

病名は子宮内膜症で、いわゆるチョコレート嚢胞というやつ。そいつが出来ていた片方の卵巣ごと切除する手術を受ける為に8日ほど入院しておりました。

退院してから知りましたが、自分の叔母や同じ職場の上司も同じ病気を患っていたらしく、割とよくある婦人病なんだなと。

なので誰かに刺さればちょっと嬉しい感じ。

 

入院当日から退院前日までの記録です。

とても長いので暇な人のみどうぞ。

 

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2020/09/24

※実はひと月前の8月末にその嚢胞が原因で腹膜炎を起こし1週間ほど点滴治療の為に入院していたのですが、このままほっといても良くはならないので切りますかということでひと月後に手術のスケジュールを立てて貰っていました。が、手術日3日前というタイミングで以前と同じように腹痛が起こり、入院する日を早めて貰えないかと相談したのですが「市販の鎮痛剤で耐えられている痛みなら予定通り2日後の入院でお願いします」と言われて2日間ロキソニンを飲みつつ家で寝込む羽目になったのでした。

 

 

手術前日、予定通り10時に入院。
手術前の内診で摘出予定の器官の中に細胞の動きが見られ、もしかしたらこれ悪性腫瘍の可能性があるかもしれないので腹腔鏡手術を予定していたけど開腹手術に変更する事を勧めますと言われた。(腹腔鏡だとお腹に小さな穴しか空けない為、もしそれが悪性腫瘍の場合摘出する時に裂けてしまうと周りの組織に飛び散って転移の恐れがあるため)

小さな穴を開ける手術と聞いていたものが前日になって文字通り下っ腹をかっさばくガチ手術に変更になった事はショックだったのだが、それ以上に悪性の可能性とか言われたことが衝撃だった。先生、今までの診察ではそんな事言ってなかったやん…。

でもいいかげん連日の腹痛を抱えるのに消耗しており、もうどっちみちそれしか安全に楽になる手段はないんやろ…とまな板の上の鯉になった気持ちで「じゃあ開腹手術でお願いします」と伝えた。

内診が終わり、病室で昼食をとった後は明日お世話になる手術室看護師や歯科衛生士、麻酔医が病室まで来て説明や診察をしてくれた。

先生達が入れ替わり立ち替わり来る間に気さくなおばちゃん看護師がスッッッパイ下剤を混ぜながら持って来て(これ混ぜて無かったら固まるんよ!て言いながら)それを飲んだ後に病棟の内診室で除毛をしてくれた。除毛については事前に何も言われなかったので自分でしようかと思ったけど、細菌が入るのでよくないよ〜的な事を書いてる他の病院のサイトを見ていたので剃らなかった。ここはおばちゃん看護師がやってくれるスタイルだった。チクチクしない。術後は少しでも快適に過ごしたかったから、お任せしてよかった。

f:id:chamari:20210926224859j:image↑お昼ごはん。3日前からの腹痛でサラダとフルーツしか食べられなかった。

f:id:chamari:20210926225049j:image↑晩ごはん。
ネギ💢💢💢(太ネギ苦手)
食べて体力つけた方がいいのは分かってるんだけどやはり腹痛で食欲がない。

夜にも下剤を飲み、1時間ごとにトイレに起きたせいでよく眠れませんでした。

 

 

2020/09/25

f:id:chamari:20211002080619j:image手術当日。
の朝ごはん。おいしくなかったけど2本飲み切れって言われたから頑張って飲んだ。

手術は13時からと言われていたので、立ち会いをしてくれる母も12時くらいに病室に到着。
着圧ソックスを履いて待つ。
30分前になっても手術室に呼ばれない。
20分前。さすがに忘れられてやしないかと心配になりナースコールを押すが、忘れてはいないようだった。
10分前くらいになり、やっと看護師さんが迎えにくる。
白い手術着に着替える。コットン製の甚平みたい。
紙製のパンツを渡され、履く。
シャワーキャップみたいな帽子も渡されたが手術室で被るつもりで手で持っていく。
立ち会いの母とはコロナ予防のため病室でお別れ。

病室から手術室までは迎えに来た看護師さんに連れられて歩く。
普通のエレベーターは人の出入りが多いから奥のベッド運搬用の大きいエレベーターを使いましょうと言われ、付いていく。
看護師さんが押した階のボタンには「中央手術室」と書いてある。降りたことのない階。
ドキドキしてきた。
手術室に向かうと大きな自動ドアが左右に開き、中に準備万端のスタッフが5、6人いて話をしており、私が入ると挨拶をされる。
いよいよこの人たちにお世話になるんだと思うと脚がすくみ、吐き気に襲われ前屈みになってしまった。
その様子を見てスタッフが慌てたけど付き添ってくれた看護師が「緊張してるんよねw」て笑って場が和む。
その通りだ、めちゃくちゃ緊張している。

最初に入った部屋にはまだ手術台はなくて、スタッフ達が打ち合わせなんかをする広い待合室のようだった。
スタッフの1人が診察券と何か紙の挟まったクリアファイルを持ってきて、名前を確認されたので名乗る。
「こっちです、2番ですよ」
看護師に連れられて廊下を歩き、オペレーションルーム2と表示されたドアに入る。
例の大きなライトが見える。手術室だ。でも思ったより広くない。
細い手術台に登るように促され、登る。
まずは硬膜外麻酔を背中に入れていくようだ。
昨日説明に来てくれた麻酔医がいる。
体験記ブログで事前に調べていたとおりに出来るだけ背中を丸めて猫のようになる。(そうすると痛くないと書いてあった)

麻酔を流されたようだが痛みは全然ない。
よほど私が緊張したように見えたのか、近くにいた看護師さんが透明の手袋をはめた手を差し出してくれたのでぎゅっと握る。暖かくて安心した。
麻酔医「点滴で麻酔入れていきますね」
あ、硬膜外麻酔と同時に別の麻酔もいれるんだ、でもなんの麻酔かな、全身麻酔はいつ入るんだろう…

意識が途切れる。(今思えばあれば全身麻酔だった)


名前を呼ばれ手術台の上で目が覚める。

意識が途切れていたことにこの時初めて気付く。
楽しい夢を見ていたようで(目覚める直前に聞いたセリフが『え、同業者?』なんだけど夢の中で聞いたセリフなのかスタッフの雑談なのかは分からない)なんだよもうちょっと寝かせてくれよと不満に思いながら目を開けたけど大きなライトを背にマスクをした2、3人の医師の顔を見て状況を理解した。
あっそうだ、手術してたんじゃん私…えっ終わったん?もう?いつの間に??(お前が寝てる間にだよ)
呆けていたら執刀医(主治医)が笑顔で「良性です」て言ってくれて(あ、そうだ、それも調べるんだった)と思い出し、とりあえず意識はしっかりしてる事を伝えようとして「よかった〜」とだけ返した。
その後、すぐお腹の痛みが襲ってきた。
痛い、とにかく痛い。
えっ麻酔、もう切れ始めてるやんけ、おい!(※本当に切れてたら多分泣き叫んでると思うので切れてはいないと思う)
だがそんな痛みもお構いなしに手術台からベッドに載せられ、あれよあれよと言う間にベッドごと病室に運ばれる。(ストレッチャーではなく病室で自分が寝ていたキャスター付きのベッドが手術室に運ばれてきており、それに直で載せられた)

痛い、痛い。痛いとしか言えない。入院する前に見た、同じ手術をした人のブログに「痛みに人格が支配される」と書いてあったがまさにその通りで、この痛みをどうにかしてくれ、という思いで痛い痛いとうめき続ける。
手術前、麻酔による吐き気をもよおす人もいると聞き(なぜか女性に多いらしい)、それが怖いと訴えていたので軽めに入れられてしまったのか?でも目覚めると同時に切れて(※切れてない)痛み始めるだなんて聞いてないぞおい!
こんなに患者が痛いと言ってるのに周りの看護師(3人くらいいた)からは誰も「痛いですね、我慢してくださいね」なんて労りの言葉はなく、私が1人で痛い痛いとうめくばかり。えっなんだこの塩対応…。看護師とはこういうものなのか、それとも産婦人科の患者のくせにお産で切開したわけじゃねーから適当でいいわとか思われてるのか等、塩対応の原因を色々考えたが多分術後の患者はこういうものだとこれまで何度も目にしてスルーしてるんだろうと納得する事にした。そっちは何百回目か知らんけどこっちは初めてなんじゃ、もうちょっと優しくしてくれ…。

私が病室に運ばれて来てしばらくすると、母も病室に入ってきた。(別室で摘出された腫瘍や筋腫を見せられ、術中迅速病理診断の結果を主治医から聞いていたらしい)
母「良性って、先生から聞いた?」
私「うん、ほんっとよかった〜」
私「痛い」
私「痛いしか言えん」
母「オーバーやな」
私「早よ帰って」
話していたところで痛みが和らぐわけでもなく、情けないが母の前で強がる事もできなかった。何より朝から付き添わせて気の毒なので早いとこ家に帰って休んで欲しかった。

病室の時計を見ると16:30。3時間半も掛かっていた。

大腸との癒着が激しくて剥がすのに時間が掛かったと先生が言っていたそうだ。


看護師達はしばらく点滴とか心電図とか血圧計とか付ける作業を黙々とこなしていたが、それが終わるとみんな病室から出て行ってしまい気が付けば私ひとり残されている。
えっ、マジか。少しの間でも誰も付いててくれないんだ…心細い…。はい…皆さん忙しいですもんねすみません…。

痛みは硬膜外麻酔を管を通して背中に流し続けてるからだんだんマシになるはず、それでも痛かったら手元に麻酔を流すボタンを置いてるからそれをプッシュすれば麻酔が出ます、とのこと。
押しすぎると吐き気がするんじゃなかろうか、そう思い吐き気と痛みの境界線を測りつつ恐る恐るボタンを押したり押すのを躊躇ったりして日が暮れて夜が明けて行った。

血栓予防の為に脚を動かす機械を付けられて眠れなかったというブログも見たが、私のとこはそれは無かった。だがそれが無くとも眠れやしねぇ。痛み止めが効いてる一瞬を狙って真夜中に妹にLINEで報告したが(向こうも夜更かししてたみたいですぐ返事が返ってきた。母から電話で聞いていたらしい)翌日からは文字を読む為に集中するのすらしんどかったのでしばらくスマホは置いた。

 

2020/09/26

術後1日目。

創(きず/開腹してそれを縫った跡)の様子を見にきた看護師に、腹帯(術後の創を守るためにお腹に巻くサポーターみたいな丈夫な布)を結ぶ時にちょうど創の真上でギュッと結ばれてそれがめっっっっっちゃくちゃ痛くて呼吸を乱してぼろぼろ泣いた。
術後最悪の痛みだった。何が起こったのか分からなかった。
優しく手当てしてくれる事を期待している看護師にこんなに痛い目に遭わされるとは思ってもみなくて、「とにかく早く痛みを引かせてくれ」としか考えることのできない術後の弱った精神状態にとっては大きなショックで多分それで涙が止まらなかった。
結んだ看護師本人もなんでそんなに泣いてるのか本当に驚いたようでドン引きしていた。
引きながらも「そんなに息したらいかん、ゆっくり深呼吸して」って言うけどお前誰のせいでこなんなっとると…!!
痛みとショックであんなにしゃくり上げてボロボロ泣いたのは人生で初めてだった。
そのあと20分くらいして回診に来た先生もまだ涙が止まらない自分の様子を見てただごとではないと思ったらしく驚いてた。
それ以来創を他の看護師に見せるのも恐ろしくなってしまい自分で腹帯を開いて見せるようになったし、開いた後も触れられそうになったら怖くて手で覆いがちになって「ちょっと手どけてくださいね〜🙁」て注意されるようになった。
悪魔や…あの看護師は無害なように見えて悪魔やった…。

ドン引きされたから同じことはもうされないと思うけどまたあの人に手当てされるの嫌だな…。でも患者の立場で指名とか出来ないしな…。とか悩みながら1日が終わった。

f:id:chamari:20211003112415j:imageこの日の夕食。

前回食事をしたのが手術前日の夜のネギがボーンと出されたやつだったから、2日ぶりの食事である。とにかくお腹が空いて気持ち悪かったので魚の出汁の味のする汁と乳酸菌の味のする汁はおいしく飲めて胃に染み渡った。

重湯は飲めなかったからご飯はまだ食べられないだろう。

ミルクが入ってなければ紅茶もOKと先生から許可をもらっていたので合間では好きなペットボトルのピーチティーを飲んでいた。

 

 

2020/09/27

術後2日目。
尿管が取れた。
取る瞬間、痛いのかなと思ったけどキモチワルッて程度だった。

これで自力でトイレに行ける。
ドレーン(切除した内臓部分の不要な血液や体液を管を通して排出している袋…先生は爆弾って呼んでいた)も、先生が来て「糸切りますね〜」「いでででで!」てやってる内に抜かれていたようだ。抜糸の痛みでドレーンを抜く痛みは分からなかった。うまいことやってくれた。

昨日の悪魔とは別の看護師さん(髪を短く縛ってシュシュで纏めてる、きっちりした印象のメガネさん。)に、今お腹に巻いている布の端を結ぶ古いタイプの腹帯をマジックテープ式に変えた方がいいと教えてもらい、その人に付き添われて点滴を転がしながらゆっくり歩いて売店に腹帯を買いに行った。このメガネさんは天使だった…。
でも同じ病院の売店で入り口から近くの棚に「腹帯」て書いてあるところの物を取って買ったのに、奥の棚にも「腹帯」があるとか知らんよ…。
というか入院案内の準備物に『腹帯はマジックテープ式のものをご準備ください』って書いといてよ本当に。
もし帝王切開で出産予定の方がここ見てたら絶対マジックテープ式をご準備ください…。看護師によっては古いタイプの腹帯の結び方を知らずに地獄を見ます…。

 

f:id:chamari:20211003113835j:imageこの日の朝食。

食事らしくなってきたけどまだ完食はできない。
f:id:chamari:20211003113833j:image夕食。BSテレ東でこどグルをやっていたのでゴローさんと一緒に食べた。

 

 

2020/09/28

術後3日目。
シャワーを浴びることができた。

浴室の鏡で術後初めて自分のお腹を見て引いた。切りましたー!ていうヘソから下に引かれた縦線と、縫いましたー!ていう横の縫合跡。

OH…わたし本当に手術したんやなと今更ながら実感した。おそるおそる創跡にお湯を掛けるが染みたりはしない。

テレビカードを使って洗濯もできた。タオルが生乾きなのでベッドの手摺りに掛けて乾かす。

家から持ってきたどくだみブレンド茶を淹れて飲めた。おやつもお腹が空くと食べてる。


看護師から「ごめんなさいね、後になったけど〜」と個室申込書を渡され記入した。(手術前にいた部屋は4人の大部屋だったけど術後からは今の個室に寝ていたので)
大分回復してきたので明日から大部屋に移る希望を出したが、今現在出産を終えたばかりで出血が酷い産婦さんがいるらしく、その人に数の少ない個室を明け渡す為に今日から大部屋に戻ってきた。

寝る時、痰が喉に絡まってむせるのが怖い。(むせると傷と内臓に響いて地獄なので)
喉の乾燥を防ぐため、濡れふきんを顔の近くの手すりにかけて、マスクをして寝てみる。

f:id:chamari:20211003114321j:image朝食。おかずは食べられるようになった。

 

 

2020/09/29

術後4日目。

f:id:chamari:20211003114505j:image朝食。手術後、初めて完食できた。

病室の窓から山の斜面に作られた梨畑が見える。そこに軽トラの荷台に載せられやって来て畑に放たれる白いワンコを眺めながら食べていた。

このワンコが毎朝の癒しだった。

 

今日は屋上に出てみた。
病棟で忙しそうな看護師達の声は届かず、鳥の声が聞こえて来る。
山がすぐ近くにあるし海も近いのでいい風が吹いて来る。
めちゃくちゃ気持ちよくて、開放的な気分になった。
そこで少し歩いた。

癒着が酷かったらしいし、術後はなるべく動いたほうが良いとブログで見ていたので階段の昇り降りなどもやって動いてるがすぐに疲れる。

看護師からは何も説明が無かったけど、こうして動けるようになって病室を離れる時は書き置きとかした方がいいのだろうか。

入院中は暇だから動画でも見ようかとアマプラを契約したものの、1日に何度も検温や排泄の回数を聞きにこられたり先生が回診に来たりして、暇なようで全然暇ではないのだなと思った。コロナで外部の人間が立ち入り禁止になってなかったらもっと落ち着かなかっただろうな…。

 

2020/09/30

術後5日目。

昨日行った屋上が気に入りすぎて2時間ほどぐるぐる回り、売店に洗い替えの腹帯を買いに向かっていたらケータイに病院から電話がかかって来て焦る。先生が病室に回診に来ていたそうだ。
わざわざ代表番号から交換経由でかかってくるんだ…。
やはり書き置きをすれば良かった。

改めて先生から病理の結果を渡される。
またお腹の痛みが再発するのではと聞いたら生理がある内はその可能性はあると。

退院後はホルモン療法を勧められた。
そんな話を聞いて、なんだか自分の残り人生について考えてしまった。
こうまでして健康を取り戻して、自分がやりたい事ってなんだ?
一度全部捨てれば本当にやりたい事や大切にしたい人が残るのではないか?
そんな重いことを考えながらいつの間にか就寝。

(ここで考え始めた事が1年経って約12年使ったTwitterのアカウントを消すという結果に出てきた)

 

 

2020/10/01

術後6日目。

夜中、トイレに1回と朝方に目覚めたくらいでよく眠れた。
だんだん睡眠時間が増えている。
21時就寝、04:30起床のリズム。
シャワーも浴びた。1時間あれば身体を洗える。
食欲も戻ってきた。
予定通り明日退院。
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以上、退院前日までの入院日記でした。濃い8日間でした…。

記事を分けて書けば良かった気もしますがあまり気持ちの良い話ではないので一個にまとめました。

でもこんな長いのここまで読んだ人いるのか😅